旭市立第二中学校  
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校長月刊感奮講話 令和3年10月

学校教育目標 「希望を抱き、よりよく課題を解決する逞しい生徒の育成」

〜切り替えの大切さ!過去の自分を断ち切る勇気−潔さ−〜




春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際少しあかりて、むらさきだちたる雲のほそく〜

夏は夜。月のころはさらなり、やみもなほ、ほたるの多く飛びちがひたる。〜

秋は夕暮れ。夕日の差して山の端いと近うなりたるに、烏の寝所へ行くとて、〜

冬はつとめて。雪の降りたるは言ふべきにもあらず、霜のいと白きも、また〜(『枕草子』)



これは、平安時代中期の女流作家、歌人である清少納言の『枕草子』の一部です。春夏秋冬、それぞれの趣をこのような言葉で表現したところはすごいと思います。そして、これは季節だけの話ではない。人間も変わっていくし、また変わらない自分になってはいけない。春は春のように、夏は夏のように、秋は秋のように、冬は冬のように、その時々の季節の素晴らしさ、懐かしさに感動しながら生きていく。これは一つの生き方のモデルであると東洋思想家、境野勝悟は言っています。

同じような意味で、鎌倉時代の随筆家である鴨長明の日本中世文学の代表的な随筆『方丈記』の冒頭部分もまた味わい深いものがあります。



ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。〜(『方丈記』)



川の水はもとの水ではない。どんどん変わる。水の泡も生まれてはパッと消えてしまう。すべては変わってしまう。あまりこだわってはいけない。サラサラと流れるように生きていこう。「潔さ」が大事ととらえることができます。

当たり前の自然の光景を見て感動する人がいる一方で、「つまらない」と感じる人もいます。「能」も同じで、初めて接した人の多くが「つまらない」「あきてしまう」と感じるのではないかと思います。「能」の世界が分かるには、例えば、冬の場面では、自分が冬の凍えるような早朝にいなくてはいけない。ですから、冬という環境そのものが問題なのではなく、自分がどういう心でいるかによって、この景色がよくなるか悪くなるかが変わると能楽師の安田登は言います。さらに、安田氏は、こう述べています。世阿弥は能の奥義を「花」という言葉で説いています。「花」は草冠を取って読むべきではないかと、「化」、つまり、変化するということ、「住する所なきを、まず花と知るべし(止まるところがないのが花である)」「いずれの花か散らで残るべき(すべての花は必ず散ってしまう)」というのも変化である。考えてみたら、花は満開の時だけでなく、散り際の桜も素晴らしいです。花を観賞するのは、芽吹き、一分咲き、五分咲き、満開、散り際という変化を鑑賞します。その変化を楽しむことができます。また、世阿弥は「初心忘るべからず」の「初」とは、衣をつくる時に、布地に最初に刀を入れる様を示していて、次に進むときは過去の自分を裁ち切れということであり、常に変化していくという教えだと説いています。

生徒のみなさん、「あの人変わったよね(いい意味で)」と言われたことにビクビクする必要はありません。人が前向きに生きるということは、今の自分にもう一筆加え、成長に合わせ、その時に必要な色を重ね塗りしていくようなことなんです。「もう、今までの私ではない、これからはこうする!」と過去の自分を断ち切る勇気をもてる人は、成長が一気に加速されるでしょう。

そんな潔い、そして「理想の道をまっしぐらに〜」である旭二中生であることを期待します。



※参考文献: 「先人の言葉に導かれて生きてきた」安田登 境野勝悟 『致知』9月号令和3年10月  旭市立第二中学校校長 加瀬 政美  



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